fragments わたしをつくるカケラたち

ライター、編集者として活動中。 映画を中心にカルチャー、アート、美容、ファッション――”わたし”をかたちづくる愛おしい”カケラ”たちについて日々綴ります。 こころもからだも、豊かに美しくあるために。

follow me at Instagram & Twitter ⇒ @kanacasper

beauty news tokyoさんでキレイ情報発信中 ⇒ http://www.beautynewstokyo.jp/

『スプリング・フィーバー』(香・仏・中/2009)

監督:ロウ・イエ

脚本:メイ・フォン

出演:チン・ハオ、チェン・スーチェン、タン・ジュオ





3日ももたない花のように、忘れられない美しさ。



spring01



STORY

夫の浮気を疑い、探偵ルオ・ハイタオに調査をさせるリン・シュエだったが、夫の浮気相手は男だった。“同級生”と浮気相手の男を夫に紹介された妻はやがて絶えられず、浮気相手ジャン・チョンの職場で彼をののしる。これをきっかけにジャン・チョンの心を離れるのだが、調査を終えたルオ・ハイタオがジャン・チョンに興味を抱き、ふたりは次第に惹かれあう。ルオにはリー・ジンという女がいたが、彼女もまた職場の工場長とも関係をもあっていた。愛にさまよう男女3人、風にたゆたうように不思議な旅が始まる――。

 


 

2695_1288620034_l

 


前作『天安門、恋人たち』が中国で上映禁止、当局から5年間の国内での映画製作禁止を言い渡されたロウ・イエが、フランスと香港の出資を受けて制作。家庭用デジタルカメラでゲリラ的に撮影されたその内容が、同性愛を含んだものだったから、また驚かされる。

 


ゲイの男が主人公というと、それだけで色眼鏡で見られがちだけれど、映画をリードする中国の小説家・詩人の郁達夫(ユイ・ダーフ)の詩のように上品で、個人的で、瑞々しい。

 


主人公ジャン・チョンは自由で、恋人にも仕事にも、家にも執着しないし、ふわふわ風に吹かれるように生きている。彼は、自分の心に正直だけれど、同時に、本能的に分をわきまえている。それはもう哀しいくらいに敏感に、だ。それを諦めと呼ぶのか、自衛と呼ぶのか、あっさりとしているだけなのかはわからないけれど、彼は掛け値なしで愛に身をゆだねている。瞬間瞬間の愛に。だから、剥き出しの彼のこころは傷だらけなのだろう。




5119904041_2a1ee31a31




 

陳腐な歌謡曲の歌詞のようで書くのもためらうけれど、わたしたち人間は花なのだと思う。それを咲かせる責任があるし、咲く場所を考えて、咲くべきタイミングあるのだと感じる。

主人公のジャン・チョンは、自分という花をよく知っている。その魅力も、その命の短さも、咲くべき場所も、咲けない場所も。だから、その枠を出るものを求めない。

 


 


郁達夫の「春風沈酔の夜」

春の、生ぬるくて強い風。すきな香り。

何かが終わって、始まる、戻れない季節。

 


 

 


“個人”と“愛”を見つめるロウ・イエは、何と戦っているんだろう。

彼の作品を、現代中国とか、政治的な観点から語るのは好きじゃない。

(その観点から語られがちで、実際その観点からでも意義のある作品なのだけど)

わたしは彼の映画のキャラクターたちが好きなのだ。彼らは、わたしたちだからだ。


あー、でももう、ロウ・イエおなかいっぱい。

spring fever01

『二重生活』(中・仏/2012)
監督、脚本:ロウ・イエ
脚本:メイ・フォン、ユ・ファン
出演:ハオ・レイ、チン・ハオ、チー・シー



愛愛愛愛愛愛愛。自分の愛には名前を書こう。
俯瞰でみれば、どれもハリボテ。


sub02


ロウ・イエの視点が変わった。

彼の映画のこれまでの主人公は、誰もみな、愛に迷って、苦悩し、傷ついていた。
監督は彼らを、過度に美化することや、露骨に温かいまなざしをむけることをせず、ただ一緒に、同じ高さで漂っていた。

だけど最新作『二重生活』は、タイトルどおり”二重”の構造で、この”浮世”のわたしたち人間を、”あの世”の視点が浮遊して、俯瞰で見つめている。本作でも、監督は何かを”良い”とか”悪い”とかジャッジすることは決してないが、この視点こそが、彼の主張なのだと監督と話をして再認識した。

sub04


<STORY>
愛する夫がもし、別の家庭で二重生活を送っていたら――?

 

優しくてイケメンな夫とかわいい娘に恵まれ、広くてモダンな家政婦がいる家で暮らすルー・ジエ。誰もが羨むほどに幸せで完璧に思えた彼女の日常は、ある女子大生が巻き込まれた交通事故を起点に、容赦なく崩れ落ちていく。ママ友だと思っていた女が実は夫の愛人で、夫は2つの家庭で二重生活を送っていたという衝撃の事実が明るみになったとき、彼女はそれとどう向き合い、また夫、愛人はどのような行動に出るのか。それぞれの愛を求める男女3人が生み出す歪みは、さらなる歪みを誘発し、やがて物語は残酷な結末へと向かっていく――。




『二重生活』にはたくさんキャッチーな面がある。
監督ロウ・イエは2006年に撮った『天安門、恋人たち』で中国電影局から、国内で4年間映画製作・公開を禁止され、以来5年ぶりに初めて母国で撮った作品がこの『二重生活』である。
一人っ子政策の弊害で、中国では本妻に男子が生まれなかったら、外に愛人をつくり跡取りを生むということが事実多く見受けられるほど、愛人をもつことや二重生活を送ることはそれほど珍しいことではないという事実。
ファミリーパパであるやさしい夫が実は愛人と子供を別につくり、ふたつの家庭を行き来する二重生活を送っていたという衝撃のプロット。




『二重生活』にはたくさん語りたい面がある。
役者がみんな素晴らしい。
『スプリング・フィーバー』で周りを翻弄しながらも、実は回りに一番利用されてしまう哀しい運命にあるゲイを、本当に本当に素晴らしく演じた俳優チン・ハオと、先の『天安門、恋人たち』で、激動の時代を”個人”として生き抜いていく覚悟を貫いた女性(わたしにはこのキャラクターは英雄!)を誌的に体当たりで演じたハオ・レイ、さらに、これまで舞台で活躍してきたという愛人役のチー・シーの身体的な瑞々しい存在感。
カメラワークが美しい。
浮遊するカメラワーク。特に、ある遺体が発見されるときのカメラワークがこの上なく美しいというアイロニー。
二重生活という、昼ドラのようなプロットをあえて採用して、別のものを描いてしまっているというそのスマートさ。

sub08

いくらでも書ける、いつまででも考えていられる。


ひとつだけ、わたしとこの映画の関係性で選ぶとしたら、それは、愛を外に振りかざすと、それは武器になるというところ。
無くさないように、自分のものを他の人のものと区別するために、無くしても誰かが拾って届けてくれるように、自分のもちものには名前を書くように、と幼稚園のときから言われてきたこと。
だからいまだに、わたしたちは何にでも名前を書いている。愛にまで。


名前の書ける愛なんて、所詮犬も食わないものだから、落とせば腐っていつかは消える。


自分で書ければいいほうで、「愛」と誰かが大きく書けば、中身もろくに確かめず、頂きますと至福の顔。
おなかを壊して初めて気づいて、「騙された!」と泣きわめく。



男と女、人間のミステリーは、この「愛」と書かれたハリボテを、「愛」と主張しながらも、実はどこかで疑っていることにある。
大切に、磨いて眺めてなめまわしていたはずが、やけに軽いとある日気づいて、泣きながら燃やす。
でもたぶん、燃えカスの中になにやら光っていて、米粒くらいの愛が残るんじゃないかしら。
浮世の謎事。


beauty news tokyoさんで監督インタビュー記事を書きました。

『0.5ミリ』(日/2014)
監督・脚本・原作:安藤桃子
出演:安藤サクラ、津川雅彦、柄本明、坂田利夫



0.5ミリまでしか近づけない。0.5ミリまでは近づける。
だから、自分の生におとしまえをつけられる。



5みり1

<STORY>
介護ヘルパーのサワはある日、寝たきり老人と一晩添い寝してあげてほしい、と老人の娘に懇願され引き受ける。老人の亡き妻の赤いワンピースを着るように指示されるが、その晩事件が起こり、サワは職を失い家も失う。着の身着のまま放浪を始めたサワは、見知らぬ街で老人たちの弱みにつけこみ、家に転がり込むおしかけヘルパーを始める。




 
5みり3

死ぬことを考えることは生きること。
いま、わたしにはこれがわかる気がする。


生きることは赤い血を流すこと。
赤いということは、生きているということ。


映画のレビューを書きたいのだけれど、自分のことしか考えられない。



おじいちゃん、ではないけれど、小さいころから習っていた剣道の先生が大好きだった。
清潔でシワの入った手の指の爪に深く綺麗に縦に刻まれた線、いつも潤っている深くて強い目、カタカナで書く文章、わたしのことを「君」をつけて呼ぶこと、いつも背筋が伸びているところ、小さくて形のいい頭に綺麗に整えられた髪、誰かとわたしを比べたりしないこと、クリスマスにはドイツのチョコレートをくれたこと、女の子だからってこっそり特別にシールをくれたこと、全部大好きだったし、全部鮮明に思い出せる。

戦争の話もしてくれた。
幼かったわたしは、先生の大きな目をみながら、この”目”がきっと、いろんなことを見てきたんだなと生まれるずっと前の話を近くに感じていた。
先生は97歳で亡くなってしまったけれど、最後まで道場で稽古をみていたし、トンカツも食べていた。亡くなったときも、奥様と一緒のとき、静かにひとりで亡くなった。 




5みり2

安藤桃子の『0.5ミリ』は約3時間の長尺で、3時間の映画を観る為の忍耐力をしっかりと要求する。
だから、途中いろんなことを考えたりする(お腹も空く)。
だから、津川雅彦の何やら意味ありげな大切そうな言葉もつい聞き逃す。
そして、いつものごとくただならぬ雰囲気の柄本明が出てきたら、津川雅彦が恋しくなった。
そして、津川雅彦の前は誰だったっけ?と思い、坂田利夫だ、しげおしげお(役名)、と回想して坂田利夫も恋しくなる。
ついでにその前は、サワちゃんにコートをくれた老人だな、あのおじいちゃんもよかったなー…と思い出を遡る。 
そして、ようやく、サワちゃんがにぎったおにぎりをスーパーのビニール袋に入れて職場へ向かうフェリーで、足が床に届かないイスにちょこんと座る柄本明、この素晴らしすぎる役者の芝居に重い腰を上げて対峙する。


きちんと時間を過ごすことで、きちんと記憶を辿るという体験を観客にさせる。
必然性のある長尺の映画だ。


この映画は、介護問題、戦争、ロードムービーとか、そんな画一的なジャンルで語るべきではなくて、死、人生、人間、関係、罪、生、哀愁、絶望、希望、そんなことを、お尻が痛くなったわたしにしっかりとお土産としてもらせてくれる、そんな映画だ。


5みり4



とても落ち込んだ21歳のとき、父親がくれた言葉。
「memento mori 死を思え」
そのときは、死を考えることで、どうして前向きになるのかわからなかった。
だけど、いまならわかる気がする。

とてもとても疲れ果てた26歳のとき、父親はなにも言わず、なにも聞かず、アイスクリームをたくさん買ってきてくれた。 




残りの人生、あとどのくらい人の0.5ミリに近づけるんだろう。 
近づく勇気と、その行為の愛おしさを、サワちゃんというヒーローが教えてくれる、そういう映画。
とても私的な、0.5ミリな映画。 

↑このページのトップヘ