fragments わたしをつくるカケラたち

ライター、編集者として活動中。 映画を中心にカルチャー、アート、美容、ファッション――”わたし”をかたちづくる愛おしい”カケラ”たちについて日々綴ります。 こころもからだも、豊かに美しくあるために。

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『薄氷の殺人』
中国・香港合作/2014
原題:白日焰火/英題:Black Coal, Thin Ice
監督:ディアオ・イーナン
キャスト:リャオ・ファン、グイ・ルンメイ
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バラバラ死体、謎の男――
いいや違う。この映画の最大のサスペンスは、絶望を知った男と女の綱渡りの駆け引き、心の揺れという衝撃!

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愛は正義を欲しがって、正義は愛をだめにする。
だめになっても愛は残って、哀しいけれど言葉にならない。

白い空に花火をあげよう、愛する人を讃えるために。
あとは踊れ、こころのままに。



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記念すべき、わたしの最初のfragment は、もちろん映画。
2015年になって、最初に観た映画。
大好きな映画『藍色夏恋』(台・仏合作/2002)のグイ・ルンメイが出演しているのと、昨年のベルリン映画祭で最優秀作品賞(金熊賞)、最優秀男優賞(銀熊賞)を受賞したから。

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『藍色夏恋』


<STORY>
『薄氷の殺人』の舞台は、厳しい寒さと雪が覆う中国の華北地方。
1999年、ある男の死体がバラバラに6つの都市、15ヵ所の石炭工場で発見される。離婚直後の担当刑事のジャンは事件の真相を追うも、現場の混乱で容疑者、さらには同僚刑事までもを失う。5年後、失意のなか警察を辞め、工場の警備員として不毛な日々を送っていたジャンだったが、警察が5年前の手口に似た事件を追っていることを知る。まるで自らの生きる意味を追い求めるがごとく、事件の調査にのめりこむジャンの前に、美しい未亡人ウーの存在が浮かび上がる。退廃的な色気と透き通るような美しさをもつウーに魅かれ、危険だとわかっていても引きずり込まれていくジャン。
助けたい、信じたい、楽になりたい、肌に触れたい、けれどもう一度夢を追いたい――孤独な男女の愛の駆け引きと交錯する疑念や欲望。

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石炭を積んだトラックの荷台にビニールに包まれた”何か”。
それを揺れるカメラがとらえる。
冒頭のこのシーンからすでに、ふつうじゃない(ただものではない)感がビシビシ伝わってくる。
(こういう映画は100本に1本くらい)


次にもうこの映画に恋をしたのは、時代が1999年から2004年へと切り替わるスイッチとして登場するトンネルを抜けるシーン。バイクを乗り捨て路肩に倒れる男を通りすぎたカメラは、しばらくするとUターンして戻ってくる。そしてさらにまたUターンして進み、つまり360度あまりにも自由に大胆に美しすぎる動きをするのだ。
この勇気は賞賛に値するし、記憶に残る本当に美しいシーン。

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他にも、グイ・ルンメイの登場シーンは、泣きじゃくる彼女の脚だけが映されるのも印象的だったし
ウーとジャンが野外スケート場から外れて人気のない暗がりを滑っていくシーンの浮遊感は、彼女が抱える虚無を見事に表現していた。


『薄氷の殺人』という中国映画の新風に出会えて、嬉しかった。製作費●●億円、驚愕のCGとか、グラマラスでハリウッド顔負けの形容詞が台頭している大陸の映画界。そんな風潮に慣れていたから、こんなにも尖ってヒリヒリする映画に出会えて驚きもした。香港や台湾の映画の灯を消えまいかと案じていた昨今にガツンと、『青の稲妻』(2002)のジャ・ジャンクー以来の大きな衝撃。


『薄氷の殺人』は、『青の稲妻』と比べると、よくも悪くもそれよりも洗練されている。
監督はきっとヨーロッパ映画に精通していて、聡明で、自国の暗部を見つめているのだろう(本当のところは知らないけれど)。
「綺麗だな」とエンディング近くのシーンで思っていた。すると突然、主人公が爆音でかかる欧陽菲菲に合わせて踊り狂った。ずるいしあざとい演出で、若干ルール違反な気もしたけど、この飛躍する勇気に笑い声とともに賞賛を送った。

ディアオ・イーナン。センスも知識も勇気もある監督。
石橋をめちゃくちゃたたきまくった挙句、最後は目をつぶってジャンプをしてみせた。
それは、すでに十分非凡であるこの映画がパンクであることを定義したような瞬間だった。



白昼の花火――誰かを愛するというのはつまり、見えなくても、華がなくても、無条件で、傍から見れば滑稽で、だけど唯一の希望になるような一瞬の夢なのかもしれない。

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最初だから、映画についてすこし書きたい。

映画の感想を誰かと伝え合うときって、最初に何を言うか、そのひとことがすべてだと思う。
これは、わたしが尊敬するライターの方の言葉でもある。
だから、このブログで映画、音楽、本の感想は、まずこの勝負のひと言をトップに書くということは最初から決めていた。


映画の偉大なところは、現実には見えないものを映してしまうから。
冷蔵庫の音、床がきしむ音、だれかの息遣い、 不味そうなコーヒー・・・スクリーンではそんなものが語りだす。

現実世界で理不尽で、破天荒で、わたしのモノサシでは計りようのない形の人に出会うと、拒絶しそうになる。
けれど、「この人が映画の主人公だったら・・・」なんて妄想を始めると、不思議と愛すべき人に見えたりもする。
(そしてたいてい、360度回転してやはりイライラする、に戻る)

映画を完全にするのは音楽。音楽が「無い」という選択肢もふくめて、映画と音楽の出会いは20世紀の奇跡の発明。
音楽をライブで聴くのも好きだけれど、わたしは映画の劇中でかかる音楽が大好き。
中学、高校のときに大好きだった国語の先生が、「哀しみは音楽にしかならない」と言っていた。
わたしもそう思う。だから、映画には音楽が必要で、悔しいけれど言葉は音楽には勝てない。


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もういい大人だけれど、「わたしって誰なんだろう」と最近思う。

わたしを知るためにまず、わたしの好きなものを集めようと思った。
好きに理由はないけれど、好きなものについて考えれば自分に近づいていける気がしたからだ。



逆にいえば、何の映画を観て、何を着て、何を食べて、どんな色のリップをぬって、誰と過ごして、何を読むか・・・そんなことの積み重なりでわたしという人間ができる。
好きなものをたくさん知って、増やして、豊かになる。


好きなこと、もの、ひと、時間、場所、それらのカケラ―fragments をたくさん集めることはつまり、幸せな人生に結びつくことでもある。

品のいいこざっぱりとした服を着て、心地のいい体型で、偏愛してやまないレザーシューズを履いて、休日にパートナーと映画をみて、質のいい美味しい食事をゆっくりとる。
そこには、知的でユーモアのある会話――


こんな未来を想像しながら、fragmentsを集めていこうと決めた。

2015年1月


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