fragments わたしをつくるカケラたち

ライター、編集者として活動中。 映画を中心にカルチャー、アート、美容、ファッション――”わたし”をかたちづくる愛おしい”カケラ”たちについて日々綴ります。 こころもからだも、豊かに美しくあるために。

2015年01月

『0.5ミリ』(日/2014)
監督・脚本・原作:安藤桃子
出演:安藤サクラ、津川雅彦、柄本明、坂田利夫



0.5ミリまでしか近づけない。0.5ミリまでは近づける。
だから、自分の生におとしまえをつけられる。



5みり1

<STORY>
介護ヘルパーのサワはある日、寝たきり老人と一晩添い寝してあげてほしい、と老人の娘に懇願され引き受ける。老人の亡き妻の赤いワンピースを着るように指示されるが、その晩事件が起こり、サワは職を失い家も失う。着の身着のまま放浪を始めたサワは、見知らぬ街で老人たちの弱みにつけこみ、家に転がり込むおしかけヘルパーを始める。




 
5みり3

死ぬことを考えることは生きること。
いま、わたしにはこれがわかる気がする。


生きることは赤い血を流すこと。
赤いということは、生きているということ。


映画のレビューを書きたいのだけれど、自分のことしか考えられない。



おじいちゃん、ではないけれど、小さいころから習っていた剣道の先生が大好きだった。
清潔でシワの入った手の指の爪に深く綺麗に縦に刻まれた線、いつも潤っている深くて強い目、カタカナで書く文章、わたしのことを「君」をつけて呼ぶこと、いつも背筋が伸びているところ、小さくて形のいい頭に綺麗に整えられた髪、誰かとわたしを比べたりしないこと、クリスマスにはドイツのチョコレートをくれたこと、女の子だからってこっそり特別にシールをくれたこと、全部大好きだったし、全部鮮明に思い出せる。

戦争の話もしてくれた。
幼かったわたしは、先生の大きな目をみながら、この”目”がきっと、いろんなことを見てきたんだなと生まれるずっと前の話を近くに感じていた。
先生は97歳で亡くなってしまったけれど、最後まで道場で稽古をみていたし、トンカツも食べていた。亡くなったときも、奥様と一緒のとき、静かにひとりで亡くなった。 




5みり2

安藤桃子の『0.5ミリ』は約3時間の長尺で、3時間の映画を観る為の忍耐力をしっかりと要求する。
だから、途中いろんなことを考えたりする(お腹も空く)。
だから、津川雅彦の何やら意味ありげな大切そうな言葉もつい聞き逃す。
そして、いつものごとくただならぬ雰囲気の柄本明が出てきたら、津川雅彦が恋しくなった。
そして、津川雅彦の前は誰だったっけ?と思い、坂田利夫だ、しげおしげお(役名)、と回想して坂田利夫も恋しくなる。
ついでにその前は、サワちゃんにコートをくれた老人だな、あのおじいちゃんもよかったなー…と思い出を遡る。 
そして、ようやく、サワちゃんがにぎったおにぎりをスーパーのビニール袋に入れて職場へ向かうフェリーで、足が床に届かないイスにちょこんと座る柄本明、この素晴らしすぎる役者の芝居に重い腰を上げて対峙する。


きちんと時間を過ごすことで、きちんと記憶を辿るという体験を観客にさせる。
必然性のある長尺の映画だ。


この映画は、介護問題、戦争、ロードムービーとか、そんな画一的なジャンルで語るべきではなくて、死、人生、人間、関係、罪、生、哀愁、絶望、希望、そんなことを、お尻が痛くなったわたしにしっかりとお土産としてもらせてくれる、そんな映画だ。


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とても落ち込んだ21歳のとき、父親がくれた言葉。
「memento mori 死を思え」
そのときは、死を考えることで、どうして前向きになるのかわからなかった。
だけど、いまならわかる気がする。

とてもとても疲れ果てた26歳のとき、父親はなにも言わず、なにも聞かず、アイスクリームをたくさん買ってきてくれた。 




残りの人生、あとどのくらい人の0.5ミリに近づけるんだろう。 
近づく勇気と、その行為の愛おしさを、サワちゃんというヒーローが教えてくれる、そういう映画。
とても私的な、0.5ミリな映画。 

『天安門、恋人たち』(中、仏/2006)
監督:ロウ・イエ
脚本:ロウ・イエ、メイ・フェン、イン・リー 
出演:ハオ・レイ、グオ・シャオドン



青春の挫折と苦い余韻。
うまく生きられないという美学。

天安門3


<STORY>
1987年、地方から北京の大学に進学したユー・ホン。文学的で美しく、タバコをふかす姿が魅力的で頭のいい少女。彼女は、チョウ・ウェイという学生と恋に落ちる。激しくて、文学の世界に浮遊しているような彼女とチョウ・ウェイは愛し合いながらも激しくぶつかる。時代は民主化を求める学生運動の時代でもあった。ユー・ホンら学生は、1989年の天安門事件を境に離れ離れになり、それぞれに青春を挫折し、そしてその深い傷を抱えたままに静かに大人になろうとしていた。
ユー・ホンとチョウ・ウェイはお互いのことを忘れることはなかったが、目の前にある日常という人生に折り合いをつけようともがいていた。恋人たちの運命と、中国社会の激動の時代が重なり綴られる。


summer3



わたしはユー・ホンに恋をした。
彼女は闘っていて、悶えていて、血を流しつづけている。
彼女は、わたしには、英雄だ。


中国では当局の脚本の検閲等を通して許可が下りた映画しか製作できないし、制作後にも提出が義務づけられている。そしてロウ・イエ監督は、この『天安門、恋人たち』を勝手に撮ってしまったものだから、4年間の自国での映画製作を禁止される。
天安門事件は現在でも最大のタブーだから。


ともすればそのような部分がフューチャーされる本作だけれど、もちろん、わたしたちがこれまで知ることができなかった現代中国の若者たちのリアル(そしてそれは驚くほどにわたしたちと同じ)に触れられるということでとても貴重だけれど、この映画の最大の魅力、本質にはそこにはない。
また、そこ以外の部分でわたしはこの映画に恋してしまった。
正確には、主人公ユー・ホンに。





深く考えすぎないこと。
ポジティブなことばを発すること。
物事や人のいい面をみること。
ストレスを溜めないこと。
場の空気を読むこと…


短絡的、楽観的であることが、幸せな人生への近道であるかのような情報に囲まれている。
あるいはそれは真理なのかもしれない。
だから、それに素直に順応できな自分はいつも苦しく、我ながら不憫だ。


そんな自分の片鱗が姿を現しはじめたころ、倫理の先生が授業で笑いながら残酷に言った。
悩んでしまうひとは、自分はそういう人間だから仕方がないと諦めるしかない。そうでないひとは、そのまま、楽しい人生を!
そんなような内容だった。




で、ロウ・イエ。
ロウ・イエの映画に登場する人物たちは面倒くさい。
面倒くさいのだけれども、彼ら、彼女たちはたまらなく魅了的。
周りの人間たちが巻き込まれて引きずり込まれていくのも納得してしまうくらいに。
監督は直接的な方法で、彼らをジャッジすることもない。


先日、最新作『二重生活』のプロモーションで来日中の監督と話す機会を頂いたとき「ぼくもあなたと同意見で、楽観的な態度でいることで幸福を得るというのは合っていると思う」と言っていた。
だけど「ユー・ホンはいろいろと苦悩しているけれど、彼女はそれを楽しんでもいるんだよ」とも加えた。


何かについて悩んだり考えたりしすぎてしまう種類の人間であるわたしも、実はそれはそれでその味を享受していたりするのだ。そしてそれは、何を隠そうわたしという人間のアイデンティティにまでなってしまっている。つまりわたしはわたしの生を生きる、という意味で、非常に幸福なメリットをもらっているのだ。代償は、生きづらいってこと(笑)




「青春はいつまでも延滞していると、莫大な延長料を払わされる」
宮藤官九郎のドラマ「ごめんね青春」の最終回(か、一個前の回)でそんなことを言っていた。


彼らの意思とは関係なく、天安門事件という大きな、大きな闇が青春を分断し、言いようもない挫折が個人の胸を蝕みつづける。彼らは、とっくに時代遅れな青春を早く返却したいのに、返す店が潰れ
てしまったんだ。だから、魂を削って延長料を払いつづけてる。これ以上払えず死んだ者もいれば、ひたすら放浪してごまかそうとする者もいる。




ユー・ホンもチョウ・ウェイも、もういちどふたりが一緒になれば、すべてが解決するような気がして、その希望を胸に味気ない日常を生きてきた。だけど、それが夢だったということが残酷にも明らかになったとき、声も発さず涙もみせず、それぞれの道をこれまでどおり歩んでいったふたりの静かな眼差しには、それでも生きなくてはいけない、この生を全うしなければいけないという、諦めの覚悟が宿っていて、それはすごく美しいと思った。


毎日笑っていることが、幸せだなんて言わないでほしい。


 

コーヒーloverな私。毎日2杯はいただいています。ブラックで。
コーヒーにお湯を注いだときにたつ香りには老化防止効果があるということで、 毎回くんくんと幸せな香りを楽しんでいます。


ですがやはり、カフェインの摂りすぎはお肌にも内臓にもよくはないよな…とどこか罪悪感も。


で、年末何気なくオーガニックのルイボスティーを買ってみたのですが、すっかりはまってしまいました。

写真

ROYAL-Tというブランドのオーガニックのルイボスティー。
もともと、ロンドンに住んでいたこともあり紅茶は大好きなのですが、イギリスほど濃いティーパックに日本では出会えずすっかりコーヒー党になっていました(紅茶もむしろコーヒーよりカフェイン多いですしね)。


こちらのルイボスは「ストロング!」という感じでずっしり重いのがお気に入りです。
そもそも、コーヒーもブラックが好きなので、ブラック同等のヘビーさがないと物足りない!
そんな男前な欲求を満たしてくれるほど、ルイボスティーは濃い!強い!
なのにカフェインフリーでカロリフリーだなんて、なんて素敵なのでしょう♥
妊婦さんも飲めるくらいだっていうし。




そしてほのか〜に甘い味と香りが絶妙で、ついつい美容の大敵の白砂糖スイーツに手が伸びそうなときでも、こちらを飲むともうそれで満足。
ルイボスティー自体にダイエット効果があるかどうかはわからないけれど、そういった意味でわたしを満たしてくれるので、結果的にダイエットにつながっています。
ミネラルも豊富なので、ダイエット中のひとには最適。
酵素も含まれているので、アンチエイジングにもいいとか。


あ〜出会えてよかった〜♪


コーヒー2杯が1杯になるだけでも、お肌にいいような気がします。
今日も寝る前に飲んじゃいます。



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2014年年末〜2015年年始を台湾の台北、台南で過ごしていました。
台北はこれまで2度訪れたことがありましたが、いずれも仕事だったので、プライベートでは初めて。

写真1
 青田七六@青田街, 台北



台湾は大好きな国です。
すこしでも道に迷った素振りをしようものなら、皆さん積極的に助けに来てくれる。
私は旅が大好きで、一人旅もたくさんしてきました。だからか、海外に出たときの警戒心はチワワ並み!
ですが台湾では、初日に行った火鍋屋さんで財布を落として拾ってもらうくらい、警戒心がなくなり心が解放されます(財布落とすのはどうかとおもいますが)。日本にいるときよりも、ひょっとしたらリラックスできるのかも。




わたしは食に関して、ストイックでないですが、体がよろこんでくれるような健康的なものが好きです。
You are what you eat という言葉がありますが、何を食べるかはわたしを形づくる大切なひとつの要素だと思っています。




それで、今回の台湾旅行で生きたかったのが「清浄母語」
台北の永康街にある、オーガニック食品を扱うショップです。
台東にある自家農園で有機栽培をした野菜やフルーツを使用しているそう。


やだ、、早速美容フリークっぷりが全開。。
だってお店の方がとても親切で、色々と試食、試飲させてくれるのです。
清浄母語

酵素は数種類があり、そして日本で買うよりずっと安い!
手の届くお値段のものから(無理はしません)、レモンパイナップル酵素(気管支、のど、胃腸、肝臓の働きをサポート)、桑のみ酵素(心臓、肺、腎臓の働きをサポート)の2種を選びました。



そして買うときめていた辣椒醤(ラージャオジャン:唐辛子を塩漬けにして、麹や香辛料を加えて発酵させたチリソース、すごくからくて美味しい!)と、梅エキス(腸内環境を整える。酸っぱいもの大好きなわたしを満足させる強烈で最高なすっぱさ!)、さらにドライレモンを酵素に浸してから乾燥させたもの(すぐに食べちゃったから写真がありません•••)を購入。
台湾酵素


梅エキスはアルカリ性食品で、若返りのホルモンの分泌を促してくれるんですよね。ストレス抑制にもいいみたい。ストレスはお肌の大敵だし。
そんなこんなで、こちらのショップで台湾に来てから一番お金を使いました。。



帰国してから、朝、ショップのディレクション通りに酵素を飲んでいます(酵素の飲み方という日本語で書かれたリーフレットをくれます)。体が元気に目覚めて活性化されるのを感じてお肌の調子も本当にいいです。原液でも全然飲めるし、なにより濃くていい。

桑のみ酵素はすこし味に癖があるけど、レモンパイナップル酵素は飲みやすくて、値段も手頃だし、次回台北にいったら大きい瓶を買おうと決めました!


梅エキスは、夜お腹がすいたときに少しなめると、その強烈な酸っぱさに体が満足してくれます(活用の仕方、間違っていますでしょうか?)。




もともと台湾の映画も大好きだったし、出張で行ったときにも素晴らしさは感じていましたが、今回は完全に台北に恋してしまいました。すぐにまた来たい、そう思わせてくれる人も街も食べ物も温かい場所でした。次回もまたこちらに来て、もっといろんなアイテムを買い込んで試したいな!



最後に、ちょうどランチタイムで、ショップのマダムとお姉さんが準備していたランチ。
わたしはここまでストイックにはなれない•••けどちょっと、美味しそうだと思いました。
ランチ

清浄母語
台北市大安金華街253-2
http://www.aruku-taipei.com/?p=3470



 

『百円の恋』(日/2014)
監督:武正晴
脚本:足立紳(松田優作賞)
キャスト:安藤サクラ、新井浩文



愛はわたしたちに言う、「立って死ね」!

200


殴られて痛くて憎くて鍛えて殴って負けて、愛に屈する。
女特有の諦め故の強さを、ここまで赤裸々にドキュメントできる安藤サクラという才能。


<STORY>
32歳引きこもりの一子(安藤サクラ)は、実家の弁当屋を手伝うこともなくパラサイトしている。夜な夜な100円均一のコンビニへ出かけては、食料を買い込み昼過ぎまで寝るという怠惰な生活を送っていたが、離婚して出戻った妹との衝突が激化、ついに人生初のひとり暮らしを決意する。
行き着けの100円ショップで深夜シフトで働き始める彼女は、通勤途中のボクシングジムに通うボクサー狩野(新井浩文)と出会い、不器用な恋を始める――。


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エクストリームな設定ではあるけれど、どんな女のなかにも、一子のもつ純粋さ、謙虚さ、自信のなさ、弱さ、諦めの境地、そしてその境地ゆえの強さがあると思う。

ストーリーとしては非常にオーソドックスで、どん底女が恋をして、あっけなく恋に破れ、自分でも意識できていないけれど、胸の内に生まれてしまったどろどろのマグマを偶然出会ったボクシングにぶつけ、のめりこみ、生きる"何か"を垣間見てしまうという成長物語。

癒し、無理はしない、リア充、体にやさしい、ストレスフリー、そんなワードがもてはやされる昨今の風潮への、アンチテーゼでもあり、その語り手として、一子の通うボクシングジムのオーナーが登場する。
スポ根が遺伝子に組み込まれているわたし世代(アラサー以上)にとっては、このオーナーの台詞にいちいちしびれる。

たとえば・・・(記憶だけに頼っているので正確ではないけれど)
「(ボクシング始めるの)10年遅せえよ!」
「熱くなるものが欲しかったとか言うんじゃねえぞ」

なんて、日々練習に励む一子を突き放し、いざ試合に臨み、ボコボコに殴られリング上で意識朦朧の一子に・・・

「おまえは何しにここ(試合のリング)に来たんだ!」
「立って死ねーー!!」

別にオーナーは、一子のすべてを知らない。
ニートだったとか、恋した男に捨てられたとか、いろいろ。
「おねえちゃん」って呼ぶくらいだから、名前も知らないのかもしれない。
だけど、そのくらいの距離感の人間がやや無責任に放つこういう言葉って、時にめちゃくちゃ真理をついて胸に刺さったりする。
素直に聞けたりもする。

仲のいい友達や家族、同僚。愛ゆえなのか、面倒なのか、本当のことを言ってくれる人ってどんどん少なくなる。
だからこそ、居酒屋でたまたま居合わせたおじさんとかの無責任なひと言が不意打ちに真理をついてしまって、ときに救われたり、ときに「なにあのおやじ!」と最初はむかついても徐々に腑に落ちてくるということがあるんだと思う。

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そんなスポ根スピリッツと、安藤サクラが、あの肉体で語る女のサガとか、湿度とか、ドロドロした部分とか、哀しみには説得力があって愛おしく、素晴らしい。最後に、目の前で泣いてる女を抱きしめるでもなく、カッコいい男のロマンを得意げに語るだけのダメな男の手を握ってしまう一子。このシーンが、女という生き物のすべてを語ってしまっているように思えた。

それにしても、女という生き物であれば誰しもが宿命的にもつグロテスクなものを、ここまで表現できてしまう安藤サクラはすごい。

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クリープハイプの『百八円の恋』。


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